無機質

「昨日初めて屋形船に乗りました。 屋形船の上から見る満月はとても綺麗でした」

とは、近所のモスバーガーの店頭に置かれた小さな黒板に、チョークで書かれていたコメントだ。 僕はこのコメントを見て、何か見てはいけない物を見てしまったような気がして、歩みを速めてしまった。

最近いろんな場所で、店先に置かれたこのような黒板をしばしば見かける。 「暑くなりましたね。ビールセット(500円)はいかがですか?」とか。 でも、近所のモスバーガーの黒板には、まるで営業と関係のないコメントがいつも書かれている。 「散歩にいい季節ですね。古河庭園にでもいってみようかな。」 「都電沿いはバラが綺麗だそうです」など。 おそらく店主の趣味なのだろうが、街中を歩いていてこういう私的なコメントを見かけると、僕は何か違和感を感じてしまう。
街中で落ちている手書きの手紙を見つけて、そこに書かれている文字が見えてしまったときのような。

屋形船の黒板を見て何も感じない人もたくさんいるに違いないが、僕は街にもっと無機質的なものを求めているのだろう。 とはいっても、下町感ただよう東京都北区西ヶ原に無機質なものを求めるほうが、たぶん間違っているのだが

playback  いちょう、ひらり。 2000.05.19

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満員電車

満員電車が嫌いだ。 終電の満員も嫌いだけれど、朝夕のラッシュ時の満員電車はもっと嫌いだ。  何故かと言うと、みんな疲れているからだ。 ちょっとぶつかっただけで、「チッ」と舌打ちをされたりする。 僕はこの舌打ちが最近気になって仕方がない。 いままでは気が付かなかったが、朝の電車には「チッ」という音があふれている。 そういうのはとても悲しい。 みんな、他人のことを考える余裕なんてないようだ。

今朝、三田線で隣の30代のサラリーマンに鞄がぶつかってしまったので、すいませんと言ったら、「ばかやろう」と言われた。 気がした。 鞄がぶつかったくらいで、そんなことを言う筈はないので、きっと僕が聞き間違えたのだろう。 でももしかしたら本当に彼はそう言ったのかもしれない。 会社に出かける前に、奥さんと喧嘩してきたのかもしれない。 とにかく、朝から疲れた顔で溢れている。

でも僕も人のことは言えない。 疲れていると、どうしても他人に無関心になる。 邪魔とさえ思えてくる。 僕も彼らと一緒なのだ。

男は疲れた顔を、知り合いにも他人にも見せてはいけないのではないかと、思う。

playback  いちょう、ひらり。 2000.05.14

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