猫とビール

今年の夏も田舎に帰りました。 新幹線に乗って、名鉄電車に乗って、駅から家まで歩いて、玄関のチャイムを鳴らして、ドアを開けると、猫がいました。

僕らが小学生の頃は、一つ下の弟が何度犬や猫を拾ってきても飼うことを許さなかった父親も、50歳を過ぎて丸くなったのか、今年中学三年生になる一番下の弟が拾ってくると、しぶしぶ飼うことを許したのでした。 いいなぁ、猫。 僕は可愛げのない、物分りの良すぎる少年だったので、弟と違って捨て猫を家に持って帰ったりしなかったのですが、「猫が飼える」ということで初めて一番下の弟に嫉妬しました。

僕は猫が好きです。 どこが好きなのかというと、あの寂しそうな目が好きです。 弱そうなところが好きです。 抱いたときの柔らかさが好きです。 何だか女の子を好きな理由と同じような理由で好きです。

東京で一人暮しをしている身としては、猫を飼うのはとても難しいことです。 でも実家で「トラ」を見ながらビールを飲んでいると、猫が飼えるような場所に引っ越すのもいいかなぁ、と思いました。

playback  いちょう、ひらり。 2000.08.30

スライダー

今日も港北ニュータウン。 「スライダー」という名前の、5メートルくらいの梯子で外壁清掃をしていたら、梯子の下から、 「あぶないよ〜」と言われた。 見ると、小学生が二人いて、興味深そうに僕の仕事を見ている。 外壁用の洗剤を取りに梯子から降りると、ベイスターズの野球帽をかぶった少年に、「怖くない?」と話しかけられた。

この仕事をしていると度々訊かれる質問だ。 怖くないよ、高いところは好きだよ、と答えたのだが、その後、「命を懸けて仕事してるの?」と訊かれた。 ううむ。 僕は命を懸けているのだろうか。 そんなつもりはないのだけど、そういうことになるのかなぁ。 と思いながらお茶を濁した答えを返していると、「僕も昇っていい?」と小学生は言った。

少し離れたところで仕事をしている同僚は、面白がってこっちを見ている。 僕がダメだと言っても、少年は「どうして?」と訊いてくる。 もし僕に子供がいたら、気の利いた答えで少年を納得させられるのだろうが、もちろん僕に子供はいないので、「いや、責任とかあってさぁ・・・」と、極めて現実的で面白くない答えしか返せなかった。

少年は僕の答えには納得できなかったらしく、タタタッとスライダーに駆けより、梯子の1段目に片足をかけ、「いいでしょ?」と訊いた。 僕はとっさに、「ダメだよ」と言って、少し厳しい顔をして少年の目を見つめた。 少年はしばらく僕の目を検分するように見つめ、「チェッ」と言って梯子に掛けた足を下ろした。

できれば昇らせてあげたかったけれど、そうもいかない。 僕も小学生だったら、きっとスライダーに昇りたいと思っただろうなと思うと、なんだか自分が悪者のように思えた。

それにしても、スライダーに昇ってはいけない理由を、気の利いた答えで言えなかったことが悔やまれる。 でも、一体何と言えばよかったのだろう。

playback  いちょう、ひらり。 2000.08.17