トイレと陰謀

風邪気味で、朝からお腹の調子が悪かった。 僕は仕事が終わるとすぐに、地下鉄のトイレに駆け込んだ。 ドアを開けると、水が流れる音がしていた。 でも実際に水が流れているわけではなくて、それは用を足すときの音をかき消すための「音姫」という名前の装置だった。 こんなもの男性トイレにあっても意味は無いんじゃないかと少し思った。

赤外線か何かで、人が座っていると作動するらしく、しばらくその水の音は流れっぱなしだった。 なんだか急かされているような気がした。 もしかしたらこの装置を備えつけた人は、用を足すのを早く済まさせることを目的としたのかもしれない。 だとしたらその目論見はまんまと成功したことになる。 僕はその音が気になってしょうがなかったので、急いで中途半端に済ませてしまったのだ。

さて立ち上がって水を流そうとしたのだが、水を流すためのレバーなりボタンなりが見当たらない。 よく見るとプラスチックのプレートがあった。 「このトイレは人が場所を離れると自動的に水が流れます」

僕は自嘲的な笑みを浮かべた。 人であろうと機械であろうと、人に下の世話をしてもらうなんて、なんだか恥ずかしかった。 もしこの装置の調子が悪くなったら、どうするつもりなのだろう。 まあ、「使用中止」の張り紙が張られるだけなんだろうけど、何か間違っているような気がした。

これも永田町の陰謀の一つなのだろうか。 ところで世の中には、居酒屋で同席している女の子がトイレに行くと、「おしぼり」を持ってトイレの横で待っている男がいるというのは本当なのだろうか。

playback  いちょう、ひらり。 2000.06.12

アメリカン・ビューティと唾液

朝起きて、ご飯を食べて、映画を見に行った。 女の子と一緒だった。

午前中の映画館が好きだ。 朝から映画を見るなんて、いかにも休日っぽい。 それに断然空いている。 映画を見るのに何十分も並ぶなんて、馬鹿げている。 東京なんて馬鹿げている。 と、地方都市出身の僕は思う。

さて。 「アメリカンビューティー」を見たのだけれど、僕はこの映画を見ていて、また少し大人になった自分を発見してしまった。 それも映画の筋と全然関係のないところで。 そして台所の流し台と冷蔵庫の隙間くらい、どうでもいいところで。
忘れ去られたゴキブリホイホイ。 その横のポカリスエットのキャップ。 そんな訳だから、誰も僕の話を解ってくれないかもしれない。 でも勇気をだして僕はここで話してみる。 この勇気が2週間出なかった。

女の子と一緒に映画に行くとする。 すると、アメリカの映画には、女性が裸になるシーンが当然出てくる。 ごく自然に、当たり前の様に出てくる。 隣には知っている女の子がいて、僕はアメリカンヌの裸なんて全然見たくないんだけれど、スクリーンの中の彼女はもちろん僕のことなどお構いなしに、ハラリシャラリと、30秒くらいかけてゆっくと服を脱いでいく。

この30秒間が大いに問題だ。 僕は、こともあろうにこの30秒の間に、ものすごく高い確率で「ツバ」を飲みこみたくなる。 しかし、上映中最も館内が静かになるこの瞬間につばを飲みこむと、その「ゴクリ」という音が周囲に響き渡ってしまう。 そして隣の女の子にその音を聞かれて、彼女に気まずい思いをさせてしまう。 そんな恐怖を僕はいつも感じる。 だから僕はアメリカンヌのシーンが終わって、ほとぼりが冷めるまでしばらく、口の中を唾液でいっぱいにして我慢していなければいけない。 それはとても辛い。 悔しくもある。
僕の唾液はセクシーなアメリカンヌによって、もたらされた物なのだろうか。 それとも、唾液のことばかり考えているから唾液が出てくるのだろうか? 果たして僕は普段、何秒に一回のペースで唾液を飲みこんでいるのだろうか?

しかし今回はそんな心配は杞憂に終わった。 ある意味で僕は進化したのかもしれない。 とにかく学習はしていたようだ。 映画を見ていて、「その30秒間」がやってきそうな気配をか感じると、僕はあらかじめ口の中の唾液を意識的に飲み込んだ。 アメリカンヌのセクシー度が頂点に達する遥か前のタイミングで。 これで僕は不毛な恐怖に襲われることはなくなったわけだ。 でも、しかし、やっぱりどこか悲しい。 「上手く生きて行く」とは、どこか悲しい。

playback  いちょう、ひらり。 2000.06.06