塗り絵のこと

大人の塗り絵が人気らしい。

数少ない小学生の低学年の頃の記憶。
その日は図画工作の授業か、写生大会か何かで、みんなで近くの商店街に行って、それぞれ好きなお店の風景を絵の具で描いていた。

僕は通りから見た八百屋の風景を描くことに決めた。
店の前に並んだ野菜や、お店の看板や、八百屋で働く人を描いていたのだけれど、最後にガラスの自動ドアだけ、絵の具で色が塗れなかった。

ガラスドアを何色で塗ればいいのか分からなかったのだ。
透明の絵の具もなかった。

困り果てて先生に何色で塗ればいいのか聞くと、先生は「見えるままに塗ればいいのよ」と言った。

ポッカリとガラスドアだけ画用紙の白色が残った絵を見つめながら、僕はほんとうに困った。生まれて初めて「途方に暮れた」。ガラスドアの向こうがぼんやり見えるけど、眼の焦点をずらすと、ガラスドアにはこちら側が映っているようにも見えた。

写生大会が時間切れになる直前、僕はガラスドアを灰色の絵の具で塗りつぶした。
野菜は色とりどりで綺麗なのに、ガラスドアの部分だけ綺麗じゃなくて、ものすごく後悔したことを覚えている。

ある朝

毎朝同じ道を歩いて駅へと向かう。 毎朝同じ近道を通る。 僕の近道は病院の駐車場だ。 本当は立ち入り禁止なんだろうけど、早朝はほとんど車が停まっていないので、ここで約5メートル分の近道をする。

今日の朝、ここで犬の散歩をしているおばさんとすれ違った。 といっても主役は、おばさんではない。犬のほうだ。 駐車場の出口に鎖が地上10センチほどを垂れ下がっているのだが、僕は見てしまったのだ。この鎖をまたぐ時の犬の顔を。

彼は3メートルほど前から、やがてまたぐであろう鎖をじっと見て、手前で歩調を合わせて、鎖を見ながら、「してやったり」という表情でまたいでいた。 その生真面目な表情は、なんだか人間の顔みたいだった。 間抜け面と見えなくもなかった。 僕は断然猫派なのだが、犬を飼っている人はこういう表情に愛情を感じるのだろうか。

朝、出掛けにラジオから聞こえた歌が、一日中頭から離れないように、今日はこの犬のアホな表情が頭から離れなかった。

playback  いちょう、ひらり。 2000.03.14