スライダー

今日も港北ニュータウン。 「スライダー」という名前の、5メートルくらいの梯子で外壁清掃をしていたら、梯子の下から、 「あぶないよ〜」と言われた。 見ると、小学生が二人いて、興味深そうに僕の仕事を見ている。 外壁用の洗剤を取りに梯子から降りると、ベイスターズの野球帽をかぶった少年に、「怖くない?」と話しかけられた。

この仕事をしていると度々訊かれる質問だ。 怖くないよ、高いところは好きだよ、と答えたのだが、その後、「命を懸けて仕事してるの?」と訊かれた。 ううむ。 僕は命を懸けているのだろうか。 そんなつもりはないのだけど、そういうことになるのかなぁ。 と思いながらお茶を濁した答えを返していると、「僕も昇っていい?」と小学生は言った。

少し離れたところで仕事をしている同僚は、面白がってこっちを見ている。 僕がダメだと言っても、少年は「どうして?」と訊いてくる。 もし僕に子供がいたら、気の利いた答えで少年を納得させられるのだろうが、もちろん僕に子供はいないので、「いや、責任とかあってさぁ・・・」と、極めて現実的で面白くない答えしか返せなかった。

少年は僕の答えには納得できなかったらしく、タタタッとスライダーに駆けより、梯子の1段目に片足をかけ、「いいでしょ?」と訊いた。 僕はとっさに、「ダメだよ」と言って、少し厳しい顔をして少年の目を見つめた。 少年はしばらく僕の目を検分するように見つめ、「チェッ」と言って梯子に掛けた足を下ろした。

できれば昇らせてあげたかったけれど、そうもいかない。 僕も小学生だったら、きっとスライダーに昇りたいと思っただろうなと思うと、なんだか自分が悪者のように思えた。

それにしても、スライダーに昇ってはいけない理由を、気の利いた答えで言えなかったことが悔やまれる。 でも、一体何と言えばよかったのだろう。

playback  いちょう、ひらり。 2000.08.17

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夏休みとお兄ちゃん

ここ3週間、横浜の港北ニュータウンで、マンション2棟の外壁清掃をしている。 来る日も来る日も、外壁の白いタイルを薬品で洗っている。 仕事は朝の8時から始まり、工事現場なので、鳶職の人や塗装の人たちと一緒に朝礼をする。 たまにラジオ体操をする。 ラジオ体操をすると身体が軽くなる。 ゴム手袋をしているので手首から先だけ日焼けしていない。
全体的に言って、昨日も一昨日も見分けがつかない生活をしている。 ちょっと疲れている。

現場のマンションの隣には公共のプールがある。 子供たちが水着を持って賑やかに歩いている。 今は夏休みらしい。 子供たちには、子供たちだけの世界と生活がある。 僕はその雰囲気を数年振りに垣間見る。 蝉の声が日増しに濃く大きくなる。 子供たちの肌も日増しに黒くなっていく。

6階の足場の上から、下の道を見ていると、子供が三人歩いていた。 そのうちの二人は兄弟のようだった。 弟らしき子供が、お兄ちゃんの顔を覗き込む仕草を見て、何となくそう思った。 お兄ちゃんは頼りがいがあるように見えた。 仲のいい兄弟に見えた。 僕は自分の小学生の頃を思い出した。 一歳下の弟がいて、小学校三年生くらいまでは、よく一緒に遊んでいた。 僕は自分が、いいお兄ちゃんだったかどうか、思い出そうとした。 でもうまく思い出せなかった。 ザリガニを取っていることと、近所の友達とメンコをしていることと、夕暮れの公園でみんなと軟式テニスボールを使ったゲームをしていて、弟が懸命に走っているところを思い出した。 子供には子供だけの世界がある。 僕はいいお兄ちゃんだったのだろうか?

playback  いちょう、ひらり。 2000.08.06

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