ナポリタンとどんぐり

仕事帰り、商店街を歩いていると、肉屋がお惣菜を売っているのを見つけた。

鶏の唐揚げや、ハムカツに混じって、何故かナポリタンスパゲッティーが売られていた。 傷だらけの銀色のトレーに盛られ、100g単位で売られるナポリタンは、全体的に焦げていて、冷めて固くなっているような気配で、あまりおいしそうには見えなかった。 僕は少しナポリタンを哀れんだ。 僕はナポリタンが好きなのだ。 ケチャップはデルモンテなのだ。

ナポリタンスパゲッティー。 『パスタ』という概念が現れてから、ナポリタンの地位は著しく低下してしまった。 「ナポリタンなんてスパゲッティーじゃない」と言い切る人まで現れた。 そんな僕も昨年はペペロンチーノばかり食べていて、「アルデンテより少し硬めが好きだな」なんて言っていた。 ああ。僕は謝らなければいけないのかもしれない。 少し離れ離れになっただけで、君のことを忘れていたなんて。
そういえば随分長い間、僕はナポリタンを食べていない気がする。 見かけることさえなくなった。 ナポリタンはどうしているのだろう? 今でも細々と喫茶店のメニューの中で生きているうのだろうか。 「ミートスパゲッティー」と仲良く並んでいるのだろうか。

小学生の時、日曜日に父親の買い物によく付いて行った。 行き先はホームセンターと決まっていて、父親はそこで、ホースや車の芳香剤や自転車のパンクを直す為のゴムやモンキーレンチや包丁磨ぎ器なんかを買っていた。 僕はなんとなく、目覚し時計が何十個も並んだおぞましい光景を眺めたり、名刺サイズのペラペラの電卓のボタンを押してその感触を確かめたり、いろいろな形の包丁が並んでいるのを見たりして時間を潰していた気がする。 そんな買い物の帰りに、時々「どんぐり」に寄ることがあって、僕はそれがとても楽しみだった。

「どんぐり」とは駅の近くにある喫茶店で、うちの家族がよく行っていた店だ。 僕がとても小さな頃から通っているらしく、その店に行くと僕はよく、「あらぁ、大きくなったわねぇ」と女主人に言われた。 僕はたくさんの人たちから言われる、この「とりあえず挨拶代わり的な」セリフを聞き飽きていたので、「先月も来たよ」と訂正して、大人達の理解不能な失笑を買ったりしていた。

どんぐりには食事のメニューがたくさんあって、ハンバーグやオムライスやホットケーキやクリームソーダやラーメンなんかを食べた記憶があるのだけれど、なんと言っても一番美味しかったのはナポリタンスパゲッティーだった。
その店のナポリタンは、熱した鉄板に溶き卵が敷いてあって、その上にスパゲッティーが乗っていた。 とろとろの卵とケチャップ味のスパゲッティーの相性は絶妙で、僕は長い間、ナポリタンとはそういうものだと思っていたのだが、東京に出てから、実は鉄板と卵は無くてもいいものだと知った時は結構落ち込んだ気がする。 とにかく僕は、「どんぐり」のナポリタンが好きなのだ。

以前『ニュースステーション』で久米宏が『最後の晩餐』というタイトルの、「明日死ぬと言われたら何を食べたいか?」とその日のゲストに尋ねるという、趣旨のよく分からないコーナーをしていた。 ゲストたちは、「こういう風に調理したフォアグラ」とか、「どこそこの店の蕎麦」とか、かなり限定された答えをしていたのだが、僕は自分にとっての『最後の晩餐』は何なのか分からず、「ううむ。大人になればいつか、ものすごく美味しいものに出会って、死ぬ前にこれが食べたいと言いきれるものなのだろう」と思っていた。

でも今日、肉屋の前で売られたナポリタンをチラッと眺めた後ふと、もしかしたら僕の「最後の晩餐」は、「どんぐり」のナポリタンスパゲッティーなのかもしれない。と思った。 死ぬ直前、僕の人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、「ああ、僕の幼少時代は幸せだった」と思うと同時に、鉄板の上に乗ったナポリタンが目の前に現れるような気がする。 そういうのもなんだかいいな。

「そうか。ナポリタンだったのか。」と、僕は大発見の喜びを噛み締めて、少しにやけながら、薄明の中を家へと向かう最後の坂を登った。

playback  いちょう、ひらり。 2000.07.28

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屋台

近所に新しく屋台のラーメン屋ができていた。

「新品の屋台」という感じの店構えが、いかにも不味そうな雰囲気を醸し出していたので、立ち寄ろうとは思わなかったのだが、ふと店主の顔を見てみると、父親にそっくりだったので、純粋にびっくりした。
実の息子が言うのだから、本当にそっくりなのだ。 やや垂れ下がった眉毛や、髪の質・量・髪型、まぶたの少し余った感じ、頬の疲れ具合。 もしかしたら僕と血が繋がっているのかも知れない。と思わせるほど似ていた。

僕は来た道を5メートルほど引き返して屋台の前に立った。

醤油ラーメンを注文して、店主が作るのをじっと見ていたのだが、どこかいい加減で、雑な動きだった。 見るからにしてあまり美味そうではない。 しかも、ラーメンが出来上がって600円を受け取ると、セブンスターをくわえて、どこかに行ってしまった。

僕は少し気後れしながら無人の屋台でラーメンをすすった。 時折後ろを通り過ぎて行く人の視線が気になってしょうがなかった。 父親の顔に似ているからと信用した自分を恨んだ。
しかし、味は思ったほど悪くなかった。 正統派の(極普通の)ラーメンで、ダシは上品な(やや薄い)味がした。 謎の白い調味料がやたらめったら入っていないのが救いだった。 醤油トンコツ系の店に多い、あの舌がピリピリする味には、我慢できないのだ。

どこからか店主が帰ってきて、僕が食べるのを何となく見ながら暇な様子で立っていた。 僕が店は忙しいのか尋ねると、「まぁ、この場所はまだ日が浅いからねぇ」という返事が返って来た。 しかし常連の客は何人かいるらしく、僕がラーメンを食べている間にも、クラクションを鳴らして店主と視線を交わして行くドライバーがいた。 店主が言うには、そのドライバーはどこかの社長で、車が大好きらしく、家に何億もするレーシングカーがあるらしい。 ラーメン屋の店主はその人の家に誘われて実際に見た、と言っていた。

もしかしたら虚言癖があるのかもしれない。と思いながら聞いていたのだが、何となく憎めないオヤジだった。

結局、店主の名前も出身も血液型も訊けずに、僕はその店を後にした。 もうその屋台に立ち寄ることはないかもしれない。 そう思うと少し惜しい気もする。 やっぱりもう一度立ち寄って名前だけでも訊くかもしれない。 訊かないかもしれない。

playback  いちょう、ひらり。 2000.07.06

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