運命

今日も仕事に行きました。 ええ。ちゃんと朝7:30に池袋の事務所に着きましたとも。 今日の現場は埼玉の菖蒲高校でした。 仕事の内容はというと、なんとトイレ掃除でした。 そうです。僕は今日もまた、マニアックな技術を一つ手に入れました。 便器がこんなに綺麗になるなんて、さすがプロのテクニックだ。 今度あなたのトイレを掃除させてください。

でも、うちはガラス屋じゃなかったのか? どうなんだ? 一昨日なんて製鉄工場の塵粉清掃をしたんです。 全然関係ないじゃない。ガラスと。床とも関係ない。 不快だ。 いくら仕事がないからって、そんな仕事とってこなくてもいいじゃないか。

高校のトイレは果てしなく汚かった。 4人で120個の便器を磨きました。 一人あたま30個の便器。 何時間も便器を磨いていると、便器が便器に見えなくなってくる。 僕に磨かれるためだけに存在している白い陶器。 軽石と硬いスポンジと紙やすりによって美しく輝き出す。 できれば僕が磨いた白い陶器に用を足すなんてことはしないで欲しい。 これは芸術品なんだ。 僕は便器を磨くために生きてるんじゃない。 それは確かだ。

今の会社を辞めてもいい。と本気で思った。 でもまだロープで屋上からぶら下がってビルの窓の外側を拭いていないので、辞めるわけにはいかないのだ。 社長、ガラスを磨かせてください。お願いです。 僕はガラスを磨くために生まれてきたんです。 ああ。

playback  いちょう、ひらり。 2000.03.11

他人

秋葉原で、京浜東北線のホームに降りると、そこは人身事故現場だった。 黒山の人だかりができていて、線路を見ると、男の人が白いビニールをかぶせられて顔だけ出していて寝ていた。僕はもっとよく見ようと近寄ろうと思った。でも何となく近寄らなかった。 「うわぁ。見るんじゃなかった」と言っている人がいた。「靴に足が・・・」と言っている人がいた。 京浜と山手線が止まっていて、ホームに人はどんどん増えていった。

最初に警察が来て、はねられた男の人の周りにビニールシートで壁を作って、「下がってください」と言った。 それから救急隊が来て、ビニールシートの向こう側に入っていった。 電車が止まったせいもあって、たくさんの人が携帯電話で話をしていて、ついでに様子を実況していた。 みんななんとなく興奮していた。 野次馬がたくさんいた。 僕もその一人だった。 すぐ目の前で人が死にそうになっているのに(もしかしたら死んでいるのに)、なんの実感も沸かなかった。 TVの映像を見ているようだった。 自分がなんとなく間違っているような気がした。 好奇心を恥じた。 何も感じないことを恥じた。 僕にとって他人は、もはや「ひと」でさえなくなっているのだろうか。 僕の周りに居た多くの人もそうなのだろうか。

やがて警察官が、「現場を目撃した人は協力してください」と大きな声で言った。 周りには100人くらい人が居たけれど、名乗り出る人は居なくて、「おいおい誰も見た奴いないのかよ。そんなわけねぇだろ」と僕の隣にいた人が怒鳴った。 僕はそこから少し離れたところに行った。

やがて電車が動き出して、僕も満員の電車に乗りこんだ。 十条駅を降りると、空気が湿っていた。 そんなに寒くなかった。

playback  いちょう、ひらり。 2000.03.08