他人

秋葉原で、京浜東北線のホームに降りると、そこは人身事故現場だった。 黒山の人だかりができていて、線路を見ると、男の人が白いビニールをかぶせられて顔だけ出していて寝ていた。僕はもっとよく見ようと近寄ろうと思った。でも何となく近寄らなかった。 「うわぁ。見るんじゃなかった」と言っている人がいた。「靴に足が・・・」と言っている人がいた。 京浜と山手線が止まっていて、ホームに人はどんどん増えていった。

最初に警察が来て、はねられた男の人の周りにビニールシートで壁を作って、「下がってください」と言った。 それから救急隊が来て、ビニールシートの向こう側に入っていった。 電車が止まったせいもあって、たくさんの人が携帯電話で話をしていて、ついでに様子を実況していた。 みんななんとなく興奮していた。 野次馬がたくさんいた。 僕もその一人だった。 すぐ目の前で人が死にそうになっているのに(もしかしたら死んでいるのに)、なんの実感も沸かなかった。 TVの映像を見ているようだった。 自分がなんとなく間違っているような気がした。 好奇心を恥じた。 何も感じないことを恥じた。 僕にとって他人は、もはや「ひと」でさえなくなっているのだろうか。 僕の周りに居た多くの人もそうなのだろうか。

やがて警察官が、「現場を目撃した人は協力してください」と大きな声で言った。 周りには100人くらい人が居たけれど、名乗り出る人は居なくて、「おいおい誰も見た奴いないのかよ。そんなわけねぇだろ」と僕の隣にいた人が怒鳴った。 僕はそこから少し離れたところに行った。

やがて電車が動き出して、僕も満員の電車に乗りこんだ。 十条駅を降りると、空気が湿っていた。 そんなに寒くなかった。

playback  いちょう、ひらり。 2000.03.08

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