とうきょう

帰り道、小さな公園があって、水飲みの蛇口から、水が噴水のように吹き出していた。 辺りは水浸しで、道路まで湿った土の染みがとどいていた。

周りには誰もいなくて、小学生のいたずらだろうか。 水を止めようと近づいてみると、蛇口が根元から取れていて、ボトリ。 水道局に電話しなきゃいけないな、と思ってみたものの、疲れ気味の僕は、まあいいか。と。 午後5時過ぎ。 もうすぐ夜だ。風も冷たい。 2秒ほど足を止めて、そのまま立ち去ろうとすると、公園の反対側の入り口から、犬を連れた主婦が。 あらあら。という顔をして、僕とすれ違う。 どうして水を止めないのかしら。

エプロン姿の主婦は、蛇口に近づいてみて、状況を理解したらしい。 ちらっと、こっちを見た。 お願いします。 僕はさっそうと駅へと向かった。 今日のご飯は何にしようか。

playback  いちょう、ひらり。 2000.02.14

ばなな

今日は建国記念日でしたね。産経新聞によると、「今から2659年前、神武(じんむ)天皇が奈良の橿原宮で即位された日」らしいです。まあどうでもいいといえばどうでもいいことですが。

今日は一日中バイトをしていました。朝の10時から夕方の6時半までガラス拭きのバイトをして(現場は六本木の建築中のライヴ・バーでした)、その後家に帰って着替えてペペロンチーノを食べて、21時から24時まで救急病院の受付のバイトをしました。 明日の朝も8時にガラスの事務所に集合なんです。 忙しいっていうのはいいことですね。たぶん。

そんな忙しい中にも、ちょこっとだけ本を読みました。吉本バナナの「哀しい予感」です。 はい。僕は吉本バナナが村上春樹の次に好きなんですね。この本を読むのは10回目くらいでしょうか。毎年梅雨が明ける頃に読みたくなるんですけど、何故か今日は、くそ寒いのにバナナの日でした。

話の中で主人公が、おばの弾くピアノを耳にして「音というものが目に見える時があるのだと知った」という場面があって、そのあと彼女に見えた風景の描写が続くんですけど、それを読んでいる時ふと、そのピアノの音を頭の中で鳴らしている自分に気がつきました。 僕は自称ミュージシャンなので、そこにピアノがあったら音を探して再現できるのですが、残念ながら電車の中にはピアノはありませんでした。 でもその後ページを閉じて、「風景と感情と音楽」について考えてみました。

僕は文章から(そこに描写される風景から)ある音楽のイメージを抱いて、自分でも一瞬驚いたけれど、それは別に驚くほどのことではないのではないでしょうか。 それは、例えばベートーヴェンの「田園」を聴いて、そこから田園風景を想像するのは難しいかもしれないけど、僕らは田園風景を見てそこから(たとえそれを具象化する技術を持っていないとしても)音楽のイメージを感じることのほうが簡単だということです。(うまく伝えられたかな?)

つまり、ベートーヴェンの持っている「田園風景」のイメージと、僕らがそれぞれ持っている「田園風景」のイメージは違って当たり前なので、ある音楽からある風景をイメージするより、ある風景からある音楽をイメージするほうのが簡単だ、ということです。 ぶっちゃけて言えば、「田園」を聴いて、あなたが雪のしんしんと降る夜の山道をイメージしたとしてもそれは自由だし、その行為が音楽だということです。(なんとなく、そうだそうだ。という気がしてきませんか?)

僕らが普段聴く音楽は、多くに歌詞がついて、本来なら自由に抱けるはずのイメージを、限定してしまっているのではないだろうか。 僕らは想像力を失いつつあるのではないだろうか。 それが、「ジャズやクラシックは難しい」と言われる状況を作り出している原因ではないだろうか。とまあ、そんなことを、電車に揺られながら思いました。

さて、吉本バナナ。 ハリウッド物ではない映画が好きな人、村上春樹が好きな人、絵を描くことが好きな人、海も好きだけど山も好きだという人、以上四つのどれかに当てはまる人は、「吉本バナナ適正指数」が高いと思われるので(理由はいつか書きます)、読まず嫌いはせずに一度手にとってみてください。 内容と量からいって、最初は「哀しい予感」がおすすめです。読後感想文を書いた人がいたら送ってください。

それでは。 なんだかラジオみたいですけど。 素敵な明日を。

playback  いちょう、ひらり。 2000.02.11