猫とジグソーパズル

駅からの帰り道、冷たい風の吹くなかを、考え事をしながら歩いていた。 漠然としたことを言葉にしたいのだけれど、上手く表現できなくて困っていた。 ジグソーパズルのように、細部はなんとか形に出来るのだけれど、全体像はまだ浮かび上がって来ない、という感じだった。

「言葉で何かを表現するというのは、ジグソーパズルを組み立てるようなものだ」という言葉が浮かんだ。 どこかに聞いたフレーズだろう思ったけれど、普遍性も説得力もないので、ただの思いつきなのだろう。
酒屋の角を曲がったあたりで、『東京ラブストーリー』のジグソーパズルのシーンを連想した。 また織田裕二だ。
商店街を抜けたあたりで、僕は何とか言葉で表現することに成功したのだが、それは言葉にすると、あまりに平凡で、陳腐なことに思えてきた。 それもまたジグソーパズルのようだった。

住宅街に入ったあたりで、若い男が道端にしゃがんでいた。 何をしているのだろう?と思いながら横を通り過ぎようとすると、その男は僕の近づくのを見てそそくさと立ち上がって去って行った。 男のしゃがんでいた近くには、エアコンの室外機があって、その横に白っぽい仔猫がちょこんと座っていた。 この街は、シャイな人が多い。

その仔猫は、人を見ても逃げようとしないので、僕も中腰になって仔猫を観察した。 その瞬間、「いいんだよ、どうせゲームなんだから」と猫が言った。そんな気がした。

僕は恐ろしくなって全力で走って逃げ出したかったのだが、所詮猫が喋るわけもなく、全力で走るには車の往来もあって危険だったので、僕はゆっくりと腰を上げた。
ここが砂浜だったらいいのに。と思った。

playback  いちょう、ひらり。 2000.11.20

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バラと時間

ちょっと有名な庭園に、バラの花を見に行った。 午後5時半を過ぎると、辺りは驚くほど真っ暗で、冷たい風が首筋をかすめ、様々な種類のバラは白熱灯に照らされて静かに揺れていた。

僕はバラの花が取りたてて好きなわけではない。

僕が生まれる前に、遠くの国で交配されて生まれた多くのバラが、その品種名と生産者の名が書かれたプレートと共に、行儀良く並んでいた。
花弁に鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ老齢の女性グループがいた。 ”beautiful”を連発する外国人夫婦がいた。
僕は、修学旅行でお寺を訪れたときのような気持ちになって、バラの間をそぞろ歩いた。 一巡りして階段を上ったところから後ろを振り返ると、夕闇の中、たくさんのバラがライトに照らされて少し霞んでいるのが見えた。

しばしば多くのものは、遠くから見たほうが、近くで観察したときよりも綺麗に見えたりする。
そして、と僕は思う。 この光景を5年たってふと思い出したら、いま実際僕が見ている光景よりも、綺麗に僕の脳裏に浮かび上がるのだろう。 他の多くの思い出と同じように。

playback  いちょう、ひらり。 2000.11.1

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